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2009年09月16日

助け合いじゃないと思います。

こんにちは、FP藤原です。



昨日までで、資金フローの全体量を見れば、予算の付け替え判断の目安にできるくらいには思っていただけたと思います。

もちろん、判断はそれぞれかと思いますが…。



ただお金の行き先を変えれば、当然ながら【得をする人】と【損をする人】が発生します。

よって、得をする人は案に賛成し、損する人は反対するということがよく起こります。



ですから、子供手当ての件でマスコミが報道する内容は、子供のいる世帯から賛成の映像を取り、そうでない世帯から反対の映像を得る、ということが繰り返されていますよね。


これは、人間に感情というものがある以上はある程度仕方のないことなのですが…

個人に主権がある民主主義という体制をとっている以上は、個人は自分の損得だけではなく社会全体のことを考えて判断する義務があります。




とは言っても、個人が国家の政策について、社会全体のことを考えるなんて簡単ではないですよね。


ですから、予め自分なりの基本概念を持っておくことをお勧めします。



では、一例として私の基本概念を少しだけご紹介しましょう。



既存の公的年金制度を説明する際によく使われる【世代間の助け合い】という言葉がありますよね。

私は、あの言葉が大嫌いなんです。嫌いと言っても気に食わないとか感情的なことではなくて、全く理にかなってないところがナンセンスだと考えているのです。


【助け合い】というものは、社会生活の中で必要かつとても大切なものだと考えています。


しかし、お金という一つのカテゴリーの中では、助け合いというものは成り立ちません。

お金は、水が高いところから低いところへ一方方向に流れるのと同じで、お金の【あるところ】から【ないところ】へ一方方向へ流れるもので
逆流することはあり得ません。

よって、年金制度をはじめとするお金の流れについての政策において【助け合い】等という言葉を使うことは、間違い以外の何物でもない…


と、私は考えています。


つまり、お金が絡む政策を実行する際は、そこをはぐらかすことなく【負担を負う者】と【負担を負わせる者】を明確にすればよいと思います。



そんなことをしたら反発が増えるのではないか?と思う方もいるでしょう。

しかし、もしそのような結果が生まれるとすれば、それは政策がおかしいのではなくて、負担することをよいことだと考えられない思想自体がおかしいと捉えるべきでしょう。
つまり教育がおかしいんです。だってどう文句を言ったところで、お金はあるところからないところへしか流れないのですから。



私個人は、今現在、子供のいない共働き世帯という状態にあります。

ですから、お金という切り口では、最も負担者になるべき者であるのだと考えています。


私の負担しているお金が、自分で立てるはずの大人ではなくて、経済的に無力な子供に流れてくれるということには、率直にうれしく思います。


だからといって、子持ちの人と食事をしに行って私が奢りたいと思うかというとそうではないのです。
私だって自分の分しか払いたくありません(笑)


ですから、そのような損得勘定で判断しないで、理屈どおりにお金を流すために政府の予算があるべきだとも考えています。



私はこれからの人生の中で、私を社会人に育て上げてくれた多くの方のためにも、なるべく長くお金の流れの上流にいたいと思います。



つづく

posted by TEC at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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